久しぶりのコラムです。
先日、父が持病の検査等で10日間入院して戻ってきてからの話。
もう結構な年齢になってきた父。
その10日間は、優雅にも高額の個室のベッドで、いまどきは監視カメラが設置され、重厚なる設備、丁寧なる看護師の皆様のご対応により、至れり尽くせりの生活を送っていたようだ。
いまどきの病院は素晴らしい。
おおよそ想像はつく。
父は幸いなんともなかったのであるが、しかし戻ってきたら何が起こったか。
歩けないではないか!
そう、筋肉の退化。たったの10日間だけれどベッドに横たわったままの父に取り、その退化スピードは速かったようだ。
おまけに歩けなくなったら何が起こったか。
精神バランスまで崩れ食欲も無くなった。
至れり尽くせりの病院や介護施設。
直す行為はありがたいが、しかし人間としての能力は驚くほど後退した。
筋肉ひとつ。
歩ける人にとっては当たり前だが、この事実を目の当たりにすると、当たり前は、とんでもなく奇跡だと知る。
ヒトは所詮、動物である。
持ち合わせているヒトの能力を発揮せねばならぬようになっている。
その後の1週間で、その過介護に気付いたのが幸いだった。
手を貸すことをやめたら、8割ほど戻った。
「お年寄りは大切に」
とは正直見直す必要がありそうだ。
これからの医療、超高齢化社会におけるヒトの在り方。
いや高齢者は、ますます動け!遊べだ。
至れり尽くせりの過介護はヒトを動物ではなく寝たきりにする。
そう気づいた話。
何も高齢者に限った話でもない。
ヒトは自然界の中で奇跡的に肉体能力を手に入れ、精神バランスとともに絶妙に生きている。
その宇宙回路を崩してはいけないのだ。
WORDS BY
BLUER Naoko Tanaka