中央線の車内、僕は山のガイドブックを精読している。山歩きを終えて気分が高まっていたのも理由のひとつだが、それ以上に、山を目指そうという気持ちが僕の中で芽生えたらしい。
この時点で、僕は3回の山行を遂行した。高尾、丹沢、奥多摩を経て、次はどのエリアを目指すべきだろう。すると、本の後半に載っていた1枚の写真が僕の目に留まる。それは山道を撮った小さな写真で、地面にはウネウネとした木の根が毛細血管のように広がっていた。僕はそのグロテスクな山容に心をくすぐられ、何度も写真を見返す。その山は日光にあって、名は鳴虫山。高低差は550m強で歩行距離も10km弱。次のステップへ進む前に、もう一度、このスケールの山に登りたかった。今の僕にはうってつけの山だと思う。
数日して、僕は東武日光駅で電車を降りた。なんだか懐かしい感じがするのは、小学校の林間学校でこの地を訪れていたからで、駅のコンコースはリニューアルされているものの、その薄暗い雰囲気と、電車を降りた際のヒヤッとする感じは、あの頃と変わらない。そんな懐かしの日光駅から、僕は登山道へ向けて歩き出す。まずは川沿いをしばらく進んで、墓地を過ぎてから川を渡る。その正面に鳴虫山の登山口が見えた。
登山道に入って小さい祠を過ぎたあたりから、足元に木の根がチラホラと現れはじめる(いよいよ写真に映っていた場所に近づいたのだろうか?)。すると、期待通り木の根の割合が増して、写真の“アレ”つまり、斜面いっぱいに、木の根が広がっているエリアへと差し掛かった。実際、その場に立ってみると、ウネウネした木の根にグロテスクさは無い。そのかわり、道幅は予想以上に広くて、入り組んだ根はアスレチックの網のようだ。僕は、木の根を踏まないように、そして、足の置き場を選びながら登る。しばらくして、最初のピーク神ノ主山に到着。このピークは日光駅周辺を見下ろす眺望が見事で、たいへんに気持ちが良い。僕はベンチに荷物を降ろし、着ていた服をザックにしまう。しばしの休憩。
僕はさらに先を目指す。ここまでは順調に進んでいたのだが、徐々に勾配が厳しくなってきた。その後、四つん這いで登る箇所も出てくると、僕の経験不足は疑心暗鬼を生む。「こんな急勾配の登りって有るの?」「この道、間違ってないか?」と、弱気な自分が語りかけてくる。心が弱れば、なぜだか身体的な疲れも襲ってきて、心拍数も上がってきた。長い斜面を登り、その先に、何度も似たような傾斜が現われる。本当に容赦ない。僕はくさくさと斜面を登り続ける。すると、傾斜の先に鳴虫山の看板が見えた。山頂だ。そのあっけない登頂に達成感は薄い。
山頂のベンチでは一人のオジさんが休んでいて、軽い世間話をする。いや、世間話と言うより、終始オジさんが僕に話しかけていた。山に関するオススメのウェブサイトや、最近登った山が良かった話。鳴虫山は何度も登っていて、色々なルートを歩いている話など。これらの話は山歩き初心者の僕にとって、どれも大切な情報となる(こうした生きた情報が、山歩きを楽しむスパイスとして機能するのだ)。オジさんはルートを書き込んだ手製の地図を片手に、マイナーなルートで下山すると言っている。話が一段落して、僕はオジさんに別れを告げた。下山道は、先程の山道とは異なり、木の根は出ていない。そのかわり、膝下まで笹が生い茂っていた。僕はアップダウンを何度か繰り返して、合方と呼ばれるピークを過ぎる。さらに40分ほど歩いて、今回最後のピークである独峰へと到着した。
独峰から先は、本格的な下りがはじまる。急斜面にある木の階段は、土台となる土が侵食されてハードルのように突き出していた。それをひとつひとつ跨ぐのも大変なのだが、地面は轆轤(ろくろ)の土のようにツルツルと光っている。僕は転ばないように注意して下る。しかし、手の支えが無い急な斜面では、努力の甲斐もむなしく、見事に転んでしまった。
その後は足場も良くなって、軽快な下りが続く。下った先は雑草生い茂る平地で、さらに発電所脇の柵をくぐれば舗装路へと出てきた。ここでは、学生服を着た修学旅行生や年配の旅行者などが景色を楽しんでいる。周囲を見渡して、今日の山歩きが終了した事を知った。右手には憾満ヶ淵と呼ばれる渓流が流れ、左手には沢山の地蔵が赤い帽子と前掛けをして整列している。
僕はその先にあるベンチで腰を下ろす。すると、じわじわぁ〜っと、安心感と達成感が同時にやってきた。そして、目の前にあった水道でズポンや靴に付いた泥を落とす。山での汚れがある程度落ちると、突然、僕の中でスイッチが切り替わった。
「そうだ、観光しよう。これが観光地での正しい山歩きだ。」
そう自分に言い聞かせると、僕は近くの有名観光地へ向けて歩き出した。