「もっと山に登ろう!」 そう心に決めてから、20日も経過してしまった。強い意思も持たずに“やろう”と決めても、何もしないまま時だけが過ぎていく。よくあることだ。
「どこへ行けば山に登れるのだろう?」「どういった基準で山を選んだら良いのか?」僕は初歩的な悩みを掲げて、どうも気分が後ろ向きだ。こんな時こそ、何も考えずに、適当な山を目指せばいいのだろうが、その適当な知識すら持ち合わせていない場合、何から手をつけるべきだろう?
八方ふさがりの中、それでも僕のマインドは少しずつ“山”へと向きはじめていた。そのため、周囲で山の話が聞こえてくれば、僕はついつい耳をそばだててしまう。
“ジュウソウ”
これは、大抵の経験者なら普通に使っている言葉。「週末に、八ヶ岳をジュウソウして」とか「この間のジュウソウはきつかったなぁ」など、ちょいちょい会話に登場する。僕はこの言葉の意味を“重装備で行うストイックな山歩き“と、あたりをつけていたが、それは不正解。漢字で書けば“縦走”、これは尾根(おね:山地の一番高い部分)を伝って、いくつかの山頂をハシゴする(歩く)意味だそうだ。
そうなれば、一回の山行で何個も山頂をめざせる“縦走”は、大変におトク感がある。そこで、多くの経験を積みたい僕は、ようやく重い腰を上げた。
まず、書店へ行き、一番読み易そうなガイドブックを購入。そして、本に載っている縦走可能なエリアを探る。条件としては、夕方に都内で用事があるため、それまでに戻れる山が良い。さらに、初心者なので距離も10km以内がうれしい。その結果、ひとつのコースが浮かび上がってきた・・・
「高水三山」
ここが本日の目指す山。低山でありながら3つの頂(いただき)を越える、まさに“ジュウソウ”が可能なコース。奥多摩の入門編とも言われ、距離は8.5km、歩行時間は4時間以内と条件は揃っている。
僕は高水三山を目指すべく、新宿から中央線、青梅線へと乗り継ぎ、軍畑駅に降り立った。まずは、2kmほど舗装路を歩いて登山道に入る。その道は雑木林から沢沿いの道へと変化し、ジグザグな登りへと続く。長い登りは、運動不足の太腿をじんわりじんわりと攻撃し、僕は筋肉疲労と格闘しながら、最初のピーク高水山へと到着。ここは僕が持つ山頂のイメージと違い、全く展望が無かった。
続いて、岩茸石山への道は、高水山からの下りと、最後の登りを除けば緩やかな尾根道となる。この尾根道も、木々に囲まれて展望は無い。さらに、麓の道とは違って、空気がとってもヒンヤリしていた。僕はこの寒さで高所に居ることを知る。そう、僕は今まさに尾根道を“縦走中”なのだ。そして、岩茸石山へ到着すると、ここでは見事な展望が僕を出迎えてくれた。
山頂では、数名の年配ハイカー達が立ち話をしている。どうも、となりの棒ノ折山で怪我人が出て、ヘリが出動したらしい。棒ノ折山方面を望めば、ヘリは見えないのだが、バタバタと音だけが聞こえる。低山とは言え、侮ってはいけない。ここでは小さい事故も大事になってしまうのだ。そのため、岩茸石山からの急な下りは、過度の慎重さから、(不覚にも)へっぴり腰となった。
その後は緩やかな道、カラっとした雑木林の中を歩く。木漏れ日がキラキラと顔に降り注ぐ。それは、歩いているのに眠気が襲うほどの心地良さだ。のんびり歩きも終わり、惣岳山手前まで来ると目の前には大きな岩が立ちはだかった。
道標によると、ここを登った先が山頂らしい。僕は手足を使って岩をよじ登る。ここは最後のピーク惣岳山。右手には神社らしき建物がポツリと建っている。木々に囲まれた静寂な空間、山の頂というよりは、神社の境内と言える。僕は適当な丸太に腰を下ろし、最後の休憩を取った。そして、出発。
山頂手前が急な岩場ならば、当然帰りも急なわけで、まずは岩場を慎重に下る。その後は、雑木林の山道。林を抜ければ、足元に御岳の集落が見えた。もうすぐ、僕の “縦走”も終わりを迎える。
集落まで下りてくると、駅も近い。その手前に、文豪たちが何度も立ち寄ったと言われる蕎麦屋があるのでのぞいてみると、残念なことに定休日だった。これは、僕に対して「また、ここへ遊びに来い」と誘いかけているサインなのか? もちろん、そんなワケは無いのだが、もし、その誘いがあれば、もちろん僕は乗るつもりだ。だが、待ってほしい、その前に、行かねばならない山が沢山ありそうだ。そう、今回の山行で、大体の感じは掴めた。もう山選びで悩むことはないだろう。そうと決まれば、次の山を探すまでだ。
帰りの車中、僕は持ってきたガイドブックをザックから取り出した。