僕は以前からバックパッカーというイメージに憧れがあるようだ。そのため、無意識に身軽な格好をチョイスしているし、いろんな環境に対応できる衣類や小物を揃えておきたい。けれども、この道具達を十二分に活かせるような場所、つまり自然界へ足が向くことは無くて、僕が目指したのは、人々の行き交う街ばかりだった。
それから数年が経過し、これらの衣類や小物を容量もわからないザックに詰め込んでいる。そう、僕は1泊2日で山歩きを計画していた。いよいよ僕のバックパッキングがフィールドへと繰り出すのだ。しかし、問題もあった。テントや調理器具等の山で使う当たり前の装備を持っていないのだ。そうなれば、泊まりは当然、山小屋だ。僕にとって、いきなりのステップアップだが、大丈夫だろうか? まぁ、あまり考えないで山小屋に泊まってみよう。
今回目指す山は丹沢表尾根。ここはウチ(社内)の生産管理長(僕が山岳のお師匠と仰ぐ)に教えてもらった。その丹沢表尾根は大山(ここも有名)と並び、ガイドブックの定番ルートとして最初に取り上げられる所である。
しかし、僕は丹沢という場所を知らなかった。そこで、丹沢を知るためにガイドブックを買って予習するのだが、山なんてほとんど歩いたことが無いからイメージが湧いて来ない。とりあえず、現場に向かえと言うことか。
こうして、僕は秦野駅に到着しバスを待っている。その間、僕のパッキングが完全に失敗だったことに気付いた。ザックの中には雨具としてポンチョとゴアテックスの上下、数個の金属カップと鉄製の水筒、2冊の分厚い本(小説)とガイドブック、さらに着替え数枚とタオルとバンダナ、ヘッドランプが予備と合わせて2種類などなど、とにかく物量が多い。僕は何に対して備えたいのだろう・・・
その結果、飲み水を補給したらザックが肩に突き刺さるように重くなった。しかし、後戻りは出来ない。僕は覚悟を決めてバスに乗り込んだ。
40分ほどでバスはヤビツに到着。およそ20分の車道を歩きの後、大きく弧を描きながら下った先に登山口が見えた。いよいよ、ここから山道がはじまる。
最初は雑木林の中を進む。せっせと登ること1時間、ようやく視界も広がり、尾根(おね:山と山の一番高い所の連なり)が続いている。初めて立つ尾根道。さて、自分の足で確かめてみようか。
この山道はとにかくバラエティに富んでいた。木の階段からはじまって、芝生っぽい足場や、砂利っぽい足場。また、「ここでつまずいたら、リアルに死んでしまうではないか!」って思う危険な場所もあった。岩場の下りもヒヤヒヤさせられたし、その後に出てきた4メートルほど垂直に下る鎖場(くさりば:補助用の鎖が垂れ下がった岩場)では、登山の本で読んだ3点確保(登りの原則といわれる技術)を意識しながら、へっぴり腰でこの岩場に挑む。すると、最後の足場で小さく岩が崩れる。当然だけれど、山では安全の保証など無い・・・
気が付いてみれば周囲には誰もおらず、長い間、ひとりぼっちで歩いていた。そのスピードは、(今考えると)初心者ハイカーとしては飛ばし過ぎており、登りに差し掛かれば心臓もバクついてしまう。さらに、体調も構わずに先を急いでいると、突然足が動かなくなった。山小屋のある塔ノ岳へ行くには、あと2つのピークが残っている。それなのに、足の痙攣が止まらない。立ち止まれば、体力的にもバテている自分がいる。
さすがにこの状況は初めての経験なので焦った。行く先を望めば、まだまだ道が続いている。数歩進んで、足をマッサージして、また数歩進む。次第に体力は回復していくのだが、それでも足はつったままだ。足を揉んで、また揉んで進む。(どれだけ、この行為を繰り返しただろう)ようやく、小石が敷き詰められた道をジグザグに登った先に、塔ノ岳山頂があった。良かった、到着だ!
山頂では今まで見かけることの無かった多くのハイカー達が体を休めていた。僕もその人達に交じって昼食を取る。その後、塔ノ岳の山小屋で本日宿泊出来るか聞いてみた。もちろんオッケーなのだが、100名以上収容出来る施設で、今日宿泊するのは僕“ひとり”らしい。
僕は2階にある適当な小部屋(どこで寝ても良いと言うのだが、大広間で寝る勇気は起こらず)に荷物を置いて、1階で本を読みながら日が暮れるのを待った。
その間、沢山のハイカーが行き来する。彼らのやり取りは、飾り気は無いが、静かで優しい。そんな会話を横で聞きながら、平和な時間が過ぎる。そして、夜の帳が降りてしまうと、僕以外のハイカーはすべて下山してしまった。
晩ご飯のカレーが出てきて、一緒に缶ビールをチビリとやる。それもすぐに空となって、さらにもう一缶。すると、それまで寡黙に作業をしていた山小屋の管理人さんが話しかけてくれた。管理人さんはお世辞にも愛想が良いとは言えないタイプだが、人間らしい温かい人で、その話がどれも面白い。丹沢の昔話や最近の出来事、管理人さん自身の話や、行った山々の話など、ほんの2、3時間のあいだに色々な話をしてくれた。
お酒もまわったところで、その火照りをクールダウンしに表へと出てみる。その塔ノ岳山頂からは、ぼんやりと夜景が広がっていた。それは足元に広がる銀河のようだ。すると、なんだか山に包まれている感じを受け、不思議と力が湧いて来る・・・
「そうだ、もっと山に登ろう」
飽きっぽい僕のことだ、この気持ちが、どれだけ続くのだろう。この小さな決意表明のあと、体も冷えてきたので僕は山小屋へ引き返した。