Update:2013.07.21[Sun]Category : SURF

伝説のボディサーファー、マーク・カニングハム インタビュー(後編)

 公務員としてオアフ島でライフガードを勤めてきたマーク・カニングハムは、アメリカのオバマ大統領が卒業したプナホウスクールからカリフォルニア州立大学サンタバーバラ(UCSB)校へ進学した。たどったルートは明らかなエリートコース。それでも選択したのは海と密接に過ごす生活だった。

※プナホウスクール/1841年に設立され、現在では幼稚園から高校3年生までおよそ3700人が通う。生徒の9割がアメリカ本土の大学へ進学する進学校で、通学するのは豊かな家庭の子息が多い。スポーツにも力を入れていることで知られる。

— プナホウからUCSBへ。それでもライフガードを職に選ばれましたね。
「ハワイには長くすばらしいライフガードの歴史があり、私はとても尊敬し、憧れてしまいました。非常に多くの人が誰かのためになる仕事に憧れるように、私にとっての憧れはライフガードだったのです。プナホウ時代に水球選手として活躍したことをきっかけに、推薦によってUCSBへ進学しました。大学へ進学する人の多くはビジネスマン、銀行員、政治家、医者、弁護士、歯医者、そして大統領(笑)などを将来の道として選びます。しかしプナホウ時代、学校にはフレッド・バン・ダイクとピーター・コールという2人の有名なビッグウェーバーが講師として在籍していました。さらに海へ行けばジェリー・ロペスがサーフィンしていました。若い頃の私はたくさんのサーフヒーローを身近で見ることができたのです。ライフガードの道を選ぶことはとても自然で、簡単な決定でした。」

— 幼い頃はどのような職業に憧れましたか?
「多くのアメリカの子供たちは消防士に憧れます。大きな消防車で、人々を助け、一心不乱に職務をまっとうする姿に興奮を覚えるのです。私はそれほど強く消防士への憧れを抱いてはいませんでしたが、同時にビジネスマンに憧れたこともありません。プナホウの同級生も全員がビジネスの世界へ入ったわけではなく様々な仕事に就いています。自分の道を見つけることができれば、その道を進めばいいのだと私は思います。」

— 生まれは東海岸とうかがいました。
「出身は東部のマサチューセッツです。後に両親がハワイへ移り住んだことから、この島で育ちました。父親は国連に関連した政府の仕事をしています。空港や街の建設を担う仕事です。そして2人の姉がいて、彼女たちと一緒にサンディビーチのあるオアフ島東部で育ちました。サーフィンを始めたのは9歳の頃。子供向けの初心者用のサーフボードキットを買ってもらったのがきっかけでした。プナホウへ進んだ理由は、両親が勉強をとても大切に考えている人だったことが理由です。マサチューセッツは同州にハーバード大学、マサチューセッツ工科大学があるように教育への意識が高い地域で、そこで多くを過ごした両親には教育は重要と考えたのでしょう。ですが、ここハワイには一日中遊べる場所があり、朝から晩まで机に向って読書するのは苦手な子供として育ってしまいました(笑)。」

— 水球はかなりの実力を持っていたようですね。
「推薦でUCSBへ進学した後、2シーズンはトップのメンバーとして活躍しました。しかしホームシックになってしまったんです。19歳の時に父親を亡くし、ホームへ帰りたくなったのです。水球はアメリカ本土では変わったスポーツという認識だと思います。当時であれば、経済的に豊かな一部の人たちが楽しんでいた印象だったかもしれません。アメリカではフットボール、ベースボール、バスケットが3大スポーツ。当時のハワイで水球チームを持っていた学校は3つだけ。プナホウ、カメハメハ、イオラニの私立学校です。現在はたくさんの公立学校で水球は楽しまれていますが、自然が豊かなハワイではオープンウォーターで泳ぐこと自体が楽しいですし、長い時間を水のなかで過ごすうえでは気候そのものが適しているのです。」

— プールと海とでは泳ぎ方は異なりますか?
「違いは大きいですね。プールは海のための学校です。ABCを学ぶように基礎をプールで学ぶのです。そもそもプールは波がないですからね。足の使い方、体の動き、息継ぎのタイミングなど技術的なことを学ぶためには集中しておこなえる環境にあるのです。この時に学んだことが、ボディサーフィンに役立っていることは間違いありません。」

— ライフガードの仕事を始めたのはいつですか?
「1975年、UCSB在学中の時です。ライフセイビングコースを専攻し、大学のプールで練習を開始して基礎を学び、サンタバーバラでライフガードの仕事をしたのが最初です。後に仕事場となったハワイ・オアフ島のノースショアはより美しく、リラックスできる場所です。すばらしいコミュニティーもあり、そこで仕事をしたいとずっと思っていたのです。」

— そのノースショアで開発に対する活動をしていますね。
「『Keep the Country COUNTRY!』という活動をしています。今ノースショアでは、第2のワイキキを生み出そうとしているのかと思えるスケールで開発計画が進んでいるのです。その計画とはグローバルに活動する投資会社が中心となり、700エーカーもの土地を開発するというもの。第一歩として5つのホテルと3,500以上のコンドミニアム建設が計画されています。しかしタウン&カントリーは島の魅力だというのが私たちの考えです。開発が進めば自然環境は大きく変わってしまうでしょう。サーファー以外にも多くの人を魅了し、私自身も長く見守ってきたパイプラインの波質が変わってしまうかもしれない。沿岸の開発と環境の変化は同じ土俵にありますからね。そこでノースショアはノースショアのままで良いと活動を始めました。英語表記ではありますがサイトもありますので、ぜひ多くの人に見てもらいたいと思っています。」

 今、ダイヤモンドヘッドを見下ろす(=最上の写真)邸宅でリタイア後の日々を過ごすマークさん。波があればできる限りサーフして、この島に宿る大いなる自然と一緒に自然体で過ごしている。その自然はとても魅力的だから、島の外に住む人にも触れたいと思わせる。来訪者は年間でおよそ700万人。震災前年に東京を訪れた外国人旅行者594万(東京都調べ)を大きく上回る人が小さな小さなオアフ島へ足を運ぶ。投資会社の側に立てば、さらなる需要を満たそうと開発を計画するのは自然の流れなのかもしれない。しかし来島者が望む美しい自然が壊されると『Keep the Country COUNTRY!』は主張する。公式サイトはこちらへ。写真のトートバックやTシャツはサイトで購入可能。活動費用に充てられる。

▼前編はコチラ
マーク・カニングハム インタビュー(前編)

<プロフィール>
マーク・カニングハム。67歳。ハワイ・オアフ島、ノースショアにあるサーフスポットのエフカイビーチパークを勤務地に、29年間のライフガード生活を送ってきた。エフカイビーチの真横には、世界中のサーファーに知られるエキスパートオンリーのサーフスポット、パイプラインがある。シーズンとなる冬には電信柱ほどに大きな波がブレイクパイプラインには、その波を味わおうと腕利きのサーファーが世界中から集結。激しく混雑する模様を毎日眺めつつ、マークたちは死線の番人として多くのサーファーを救ってきた。一方、世界屈指のボディサーファーでもあり、近年ではボディサーフィンに焦点をあてた映像作品『カムヘル・オア・ハイウォーター』で中心的な役割を演じた。

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