サタデーズサーフのオーナー3人にインタビューしてきました。サーフメディアさんの取材で代官山のストアに伺ったのですが、聞けば今回の来日で受けた取材の数は10回を軽く越えているとか。ロックスターかと思われるスケジュールですが、それはこちらとて想定済み。予定調和的な質問にはもうウンザリだろうと、ナナメな質問を多数用意しました。
東京とニューヨーク、東海岸と西海岸、サーフと洋服、サタデーズサーフとステューシー。そんな比較論を中心に話をしていると、“やや”どころか“完全に”疲れ気味だった彼らも興味を示してくれたようです。コリン・タンストール、ジョシュ・ローゼン、モーガン・コレット(写真、左から右へ)、みなさん重たい口をわずか軽やかにして答えてくれました。
約束の1時間を越えてしまったインタビューの詳細は後日アップされるサーフメディアさんでの記事に譲るとして、ここでは興味深い会話をひとつ紹介します。それは、「なぜ日曜日ではダメだったのか」という質問に対する彼らの考え方です。
サタデーズサーフのサタデーとは説明するまでもなく、土曜日のことです。しかし日曜という選択だってあったはず。そう、サンデーズサーフです。しかし彼らは土曜日を選んだ。理由は、土曜日こそが完全に自由な日、と捉えた彼らの考えがありました。
「日曜の次は月曜だろ。すると夕方頃にはそわそわして、完全にはリラックスできないじゃないか」
そういうジョシュの言葉を聞いて思い出したのが、日曜日の夕方に放映されているサザエさんです。フリーランスの僕にとって、曜日の感覚はあまり強くありません。でも、小学生の時に見ていたサザエさんが始まると憂鬱になったことは強く覚えています。翌日には学校があるからです。自由だった休日の終わりを告げたのがサザエさんなのでした。
なるほど、ジョシュの言葉は的を得ている。けれど、チュースデーズサーフ、でも良かった。そう、火曜日です。なぜなら良い波は必ずしも週末には訪れません。火曜日にだってやってくる。そのため波のリズムを軸とした生活を送るサーファーは少なくありません。いや、むしろこれまでのサーフィンの世界は、そのような趣向性を持つサーファーが主とされてきました。
では、なぜ火曜日ではなく土曜日だったのか。
ジョシュは、ニューヨークのソーホーにサーフショップをオープンさせた理由を、みんなでハングアウトできる場をつくりたかった、としました。おそらく彼らの頭のなかには、平日は働く日としてあり、サーフを含めてリラックスできる日を土曜日としているのです。つまり彼らにとってのサーフィンとは、アウトサイダーのものではなく、オルタナティブでさえない。とても普通にそこにあって、とても簡単に暮らしに取り入れられるものなのです。そして、その考えを支持する人がニューヨークにも東京にもいた。だから彼らは両都市で成功をおさめられたのだと考えられます。
時代は移り変わっている、ということなのでしょう。
日本のサーフィンは半世紀以上の歴史があります。カリフォルニアを中心としたアメリカでは1世紀以上。今春にはヨーロッパのスペインにライフスタイルブランドが誕生しました。サーフィンは想像以上に広く浸透しているのです。その広さは教育の現場にも反映されるほどです。実際にロサンゼルスの公立小学校では、サーフアートを含めたストリートアートを教材に美術のプロジェクトが組まれていました。宮崎にもサーフィンを授業に取り入れている公立の学校があります。
このような事例に立ち会ってくると、確かに時代は移り変わっているのだと実感します。僕らが魅了されたサーフィンの持つ力が、社会に認められる時代が来ているのだと、とても強く感じるのです。
http://www.saturdaysnyc.com/location/tokyo
エディター 小山内 隆